あらあら大変ね

いろいろです

越えられない隔たり

 

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

 

 

小学生のとき以来で読みました。

小学生のときに読んだのは子供向けのやつです。金の星社のどきどきミステリーランドっていうやつ!このシリーズは多分ポリドリのヴァンパイア以外全部読みました。いいラインナップです。とにかく挿絵が怖かった。

どきどきミステリーランド - 金の星社

何故ポリドリを避けたのか?それはドラキュラとヴァンパイア、何故吸血鬼だけ2種類呼び方があるのか分からなかったから、もっとわからなくなりそうで避けたのです、固有名詞という概念がなかったのです当時に私には。バカなのか。小学校低学年だから許してね。

 急に何故読みたくなったのかは分かりませんが、夏だからでしょうか。

 

あらすじ:トランシルバニアの吸血鬼が新天地イギリスで新規巻き直し

ひとこと:仲良くはなれませんね

 

B・ストーカーという人は、学生時代から芝居狂で、足繁く劇場に通っては自分で劇評を書いたり、その縁で今でいう劇団のプロデューサー?っぽいことをしていた人なんだと初めて知りました。ご同類か。通りで見せ方(読ませ方)がうまい。

 

最初は、仕事のためにトランシルバニアのドラキュラ城に来てうっかり監禁されてしまった主人公ジョナサンの恐怖に慄く日記から始まります。明らかに怪しい伯爵!魅惑的な女吸血鬼たち!城の周りは狼だらけ!この状況から逃れることは出来るのか!どうなるジョナサン!

といったところで次のページで突然、気のおけない女友達同士の手紙になっている。どうやらこっちはジョナサンの婚約者ミナと幼友達ルーシーの近況報告。二人とも嫁入り前でウキウキしています。

さらに語り手は飛んでルーシーの求婚者の一人セワード医師の当時最先端の録音による日記に。この録音っていうのがね、書き言葉の日記とは違って、つらつらと自分の言葉でしゃべるセワード医師の姿を想像しながら読むので、臨場感があるなあと思いながら読める(そして何故これが文字に起こされているのかも、ちゃんと理由がある)。

他にも様々な手紙のやり取り、新聞記事等ですべてが構成されている。

つまり地の文がない!ので、客観的な資料から伯爵のおぞましい行動が浮かび上がってくる仕掛けになっているのです。

これが本当に怖い。まさか大人になってから読むことで「怖い」と思うとは。地の文でどんなに恐ろしい描写をされるよりも、個人の日記を読んで追体験していく方が、吸血鬼というものの曖昧だけれど確かな存在感を感じます。

しかも主として「個人的な記録」である日記を読者が神の視点で読んでいるので、読者は「あー!それは伯爵の仕業だよー!」と分かっても、登場人物たちは全体像を知る由もないのが歯がゆい!特にセワード医師の病院の立地とか。お前んちそこかよ!

 

だから登場人物たちが一堂に会するのも物語半分以上過ぎてから。

で、そこからはドラキュラ退治へと話が進むんだけど、とある事件により、日記であるという体裁が本来の「自分の気持ちを吐露する場所」としての機能にシフトしていくんですね。寧ろそのための日記という体裁なのか!

とにかく、アーサーの例の行動のシーンもそうだけど、愛する人を化物にしないために自分が何か暴力的な行動をしなきゃいけない、というのは辛い。

人間は精神的な生き物というけれど、やっぱり肉体からは離れられない。お葬式で一番泣くのは、いよいよ棺の蓋を閉めるときや、火葬する直前だと思うのです。肉体への愛着って軽視されがちだけど、死に瀕したとき思い知らされるんだね。

和泉式部

捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば

と読んでいる。吸血鬼はまさにそんな「肉体に仇なす存在」なのですね。

 

そして私は萩尾望都先生の「ポーの一族」が好きなのもあると思うんですが、更にこれを書かれた当時の世相やキリスト教圏ではどう取られたのか分かりませんが、ふとした描写に伯爵を哀れに感じてしまうのは正しいのかどうか……。

こんな描写があります。

世の中はみんないい人だらけのような気がする。いい人ばかりのそういう世のなかに、ああいう怪物がいるのだ。

勿論いい人ばかりでない世の中なのは誰でも分かっています。怪物=犯罪者でも成立する文章です。でもこの「いい人ばかりのそういう世のなか」から疎外された存在なのです、伯爵は。

 

夜にしか行動できない、美味しいごはんも食べられない、生き血を啜るしか出来ない、そうしないと仲間もいない。

でもこちらとしては、愛する人をそんな化物にされたくない。もしそうなれば自分がその人の胸に杭を打たなければならない。

 

これは絶対に越えられない隔たりですよ。だから徹底的に化物には無理解でいる他ない。同情してはいけない。神様はその行動をするための理由を委託する先なんですね。ドラキュラ伯爵は「神様」に背いたから、「神の子」である人間が倒さなくてはいけない。

どうにも出来ないこの無理解、相手が化物でなく人間でもありうるのは、今朝方見た色々なニュースの中にも見つけられることでね。

とても怖くてドキドキもするし、最後に愛の勝利があるとはいえこの「無理解」を放置してよいものか……それでもラストのカタルシスはよかった。私もやっぱり人間なので。

 

あと平井呈一さん訳というのは一番古い訳のようで、結構言葉がおもしろい。「ドンピシャ」じゃなくて「ドンピシャリ」とか、「ケロリとしている」んじゃなくて「ケロリカン」とか。最初のドラキュラの手紙は渋くてかっこいいけど、伯爵登場シーンの喋り方は田舎のおじいちゃんみたいで可愛い。

あとクライマックスの夕陽に照らされたミナの顔がバラ色に染まるところ、とてもいい。主人公はジョナサンじゃなくてミナではないかと思うんだが。「ヘルシング」でも「リーグオブレジェンド」でも出てくるのはミナだしなあ。皆に守られてるだけじゃない毅然としたヒロイン!