あらあら大変ね

いろいろです

その瞬間に人生を賭けて

去年途中まで読んで忙しくなり読めなくなっていた「テロルの決算」を読みました。

 

テロルの決算 (文春文庫)

テロルの決算 (文春文庫)

 

 確か去年の春に沢木さんの「破れざる者たち」を読んでルポタージュおもしろいと実感しました。もうルポタージュって死語かもしれない。「事実は小説より奇なり」を地で行くのがルポタージュですね。昔読んだ本田靖春さんの「誘拐」も面白かった。

 

日本史の資料集に必ず載ってる浅沼稲次郎刺殺事件の「伝説」を追うノンフィクションです。

 

あらすじ:テロの加害者と被害者と傍観者がいました

ひとこと:一瞬が一生を殺す

 

 

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※流血等はありませんが、ショッキングな映像なので閲覧ご注意ください。

 

「この瞬間のために人生があった」という考え方は、人生に対する賞賛なのか冒涜なのか、時々考えます。その一瞬を迎えた人がその人であるということに何か凄まじい意味があれば賞賛に値するのは分かる。だけど、その一瞬がどんなに重大であったとしても人生の他のあらゆる時間と等価である考え方自体が冒涜のように感じるからです。

ただ、「この瞬間のために人生があった」という考え方は非常にロマンシズムに溢れていて劇的でもしかしたら美しい現象であることも分かります。

原発の話はあまりしたくないのですが、あの時所長が故吉田氏でなければ、今私は東京にいなかったかもしれないと思うことはあります。2011年3月12日に吉田さんが下した判断がもし無かったのであれば。そういう時、その人の人生がその瞬間のためにあったんじゃなくて、「その瞬間のためにいるべき人がそこにいた」というのは確かなのではないか、と感じなくはないです。

 

山口二矢の人生は、そのお母様をして「あの子の人生はこの時のためにあったんじゃないか」と言わせるものでした。

対して浅沼稲次郎はその瞬間に自分の人生が、自分によく似た行動原理を持った少年によって終わらせられるとは露程も思っていなかった。

 

読む限り二人は似ていると思うんですね。二人とも「行動主義」なのです。

二人とも「本を読んで議論して(アジビラ撒いてヤジ飛ばして)革命を起こした気でいたって仕方ねえだろ!」っていう。私はね!これめちゃくちゃ共感したぞ!!!

いるんじゃよ~口ばっかりで何もしない「俺も芝居やってみようかなあ(私)が出来るんだから俺も出来そうだよね(笑)」とか口では言う癖に、何もしないバカ!バカっていうよ!バカだよ!

なんていうか私も行動主義なんだな。理論がない訳じゃないけど、何もしないのは罪悪感ある。

思い出すのは「罪と罰」のラスコーリニコフ。周りの人々は「一つの蛮行と百の善行」が等価であると言いますが、実行するつもりはこれっぽちもなくて、ラスコーリニコフはそれを実行し得る勇気の持ち主なんですよ、当然私はラスコーリニコフも好きです。

しかしその一線を「乗り越える」人間に必ずしも幸福な未来は待っていない、その末路が悲惨であった場合を私たちは多く知っている。いや実行する方が本当はバカなのかもしれないんだよね。だって何もしない方が楽だもの。

浅沼稲次郎山口二矢は実行の勇気がある人間だった。こんなに似ている二人なのに、その人生で交わったのは一瞬しかない。文字通り生と死を賭けた一瞬だけ。

一瞬が浅沼稲次郎の一生を奪った。愚直に人間機関車をしてきた、理想を賭して文字通り走り回ってきた距離も労力も情熱も靄のように消えてしまった。社会党にとって物凄い熱量の喪失だった。

そして山口二矢はその一瞬のために、永遠に「浅沼稲次郎を殺した17歳のテロリスト」と呼ばれる一生になった。彼が送ってきた幼少期、友達との付き合い、家族の会話も全部その一瞬に仕舞われてしまった。

彼らの「一生」は「一瞬」に征服されたと思うんですね。もう、それだけになっちゃった感じ。

なんだか勿体無い。だって人生って色んなことの積み重ねでしょ。もう、この刹那の前には雲散霧消するのかと思うと切ないですよ。

 

かつですね、この本の面白いところは、「色んなことの積み重ね」の部分を描いているところですね。この「一瞬」を演出するための「偶然」なのか「必然」なのか分からないエピソードが沢山出てくる。

例えば山口二矢はその日の朝、急遽浅沼稲次郎を殺すことにしたので(行き当たりばったり感あるがマジ)講演会に入場券が必要だとは知らなかった。

講演会が始まって随分経ってから来た山口二矢を、せっかく来たのに入場券がなくて入れない可哀想な少年だと思って入場券をあげたスタッフがいた、とか。

この人があげなければ、可哀想だと思わなければ浅沼は殺されなかったかもしれないんだよ!?名前も出てこないんですけどね。この人はそのあとどんな気持ちになったことか。しかも山口二矢が学生服着てこなかったらどうですかね?哀れ度変わりますよ!

他には、あんまりやる気のないカメラマン長尾靖があんまりやる気なくど真ん中に座っていたお陰であの日本史の資料集に載ってる写真を撮ることが出来た。そしてそれはフィルムの最後の1枚だったとか。でもそもそも↑の人がいなければ、長尾靖が日本人最初のピューリッツァー賞受賞者になることもなかったんだなあと。

その一瞬のために色んな人の人生の交錯があるんだよな。と、当たり前のことを思い知らせてくれるのです。思い知った方がいいのです。

 

あと、この一瞬が人生どころではなく歴史をも殺すことがあるんだと思うと、一周してステキなことのような気がしてきたりもした。歴史の前に人間は無力じゃないかもしれないでしょ?浅沼が死んでいなかったら現代日本の政治史、変わっていたでしょうね。歴史にifは無いけど、ifを無くしたのは17歳の少年なんだな。怖いな。そりゃあ沢木さんの追う「伝説」が生まれるわけだわ。

 

難しそう、ルポタージュって何?って人にも是非おすすめしたいです。

小説よりも面白い事実の物語です。物語なのです。

 

私の人生が誰かの一瞬に何かを与えていることも、もしかしたらあるかもしれない。

私にも「この瞬間のために人生があった」と思うときがやってくるのかしら?

どうせなら何より楽しい美しいことのためがいいなあ。

私の大好きな茨木のり子さんのこの詩のように。

 

けれど 歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を

抱きしめて生き抜いているひともいますもの

「歳月」